東京高等裁判所 昭和27年(う)1807号 判決 1952年11月28日
控訴人 被告人 後藤時夫
弁護人 深田鎮男 有賀岩己
検察官 松村禎関与
主文
原判決を破棄する。
被告人は無罪。
理由
本件控訴の趣旨は末尾に添付した弁護人深田鎮男、同有賀岩己名義の控訴趣意書並びに弁護人深田鎮男名義の控訴趣意書訂正申立書記載のとおりで、これに対し当裁判所は次のように判断する。
控訴趣意書論旨一、について。
原判決は「被告人は法定の除外事由がないのに、昭和二十六年十月十二日千葉県印旛郡本埜村下井地先印旛沼から同郡八生村大竹地先まで、粳玄米十俵三斗を農船に積み輸送したもの」と認定し、これに食糧管理法第九条、第三十一条、同法施行令第十一条、同法施行規則第四十七条を適用処断したのである。しかし食糧管理法第九条やその他同条施行のための前記法令はいうまでもなく主要食糧の公正な配給を確保するために設けられたのである。従つて主要食糧の生産者がその生産したものを収穫するに当つて、たとえば遠隔地に耕地があるような場合収穫物を自家に収納するためには必然的に主要食糧を甲地から乙地に移動させる必要が生じるわけであるが、その行為は主要食糧の公正な配給を確保するという食糧管理法の目的を阻害する虞は少しもないのであるから、それは同法にいう主要食糧の移動又は輸送というのに該当しないのである。生産者がその生産した主要食糧を自家の食糧に充てるため精米所に持つて行くのも又同様といわなければならない。もしそうでないとすると、食糧管理法施行規則第四十七条にいわゆる法定の除外事由としてこれらの行為を必ずしも明らかに掲げていないのであるから何人といえども輸送してはならない結果として、生産者たる農家自身が生産に当然附随する行為を禁ぜられるという矛盾を生ずることを免れないし、その矛盾を除こうとして、官庁の許可等により禁止が解除せられると解するとしても、生産者に対し煩わしい手続を課すること自体がその生産に支障を来すこととなり延いては法の企図する公正な配給を確保することに悪影響を及ぼすことなきを保証できないからである。これを本件についてみると、被告人は昭和二十五年度から隣村印旛郡本埜村下井地先の印旛沼沿いにある約二反歩の荒地を井上保から借りて開墾し、水田としたが同年は水害のため収穫皆無に帰し昭和二十六年度に初めて十俵余りの収穫を挙げられたのであるが、そこで同年八月末頃刈り入れを終え、同年九月十日頃現地で脱穀し井上保方庭先で調整した上、その十俵と三斗の玄米を暫く井上方に預けておき、同年十月十二日農船を借りこの玄米を積み込み、印旛郡八生村大竹の木内佐男方で精米して貰うため木内方に近い地点まで船で約五粁を運んだのであるが、同郡安食町の被告人の家から本埜村下井地先まで陸路約七粁あるし、右玄米を被告人方に運んだ後時間をおいて木内佐男方に運ぶとすると更に二、六粁も運ばなければならないような地理的関係があるので、被告人がしたように水路を利用した方が距離も近く米俵のような重量のあるものを一時に運搬するには遥かに便利なこと原審証人井上保、同菅沼一二の証言に原審検証の結果により明らかであるし、更に原審証人小川忠男、同木内とりの証言によれば、被告人は従来からも屡々精米のため木内方工場を利用しており本件の十俵三斗の玄米を全部木内方に運ぼうとしたのはこれを一時に精白して貰うわけではなく、必要に応じ随時精白して貰うため一応全部を木内方に預けておくためのものと認められるのである。してみると被告人の所為は主要食糧の闇行為を伴う輸送とはその類を異にしているものというべきであり、それ故主要食糧の公正な配給を確保するための食糧管理法の目的を毫も阻害することがないから、同法にいわゆる主要食糧の移動や輸送というのに該当しないものといわなければならない。然るに原審は本件の玄米が被告人の生産米で生産地から印旛沼を利用して運んだ事実を肯認しながら、それだからといつて直ちに違法性がないと解するのは相当でないとし更にこれにつけ加えて被告人が本件以外にも数回米を運んだ事実があることを認めこの事実に徴すれば被告人の所為が違法性がないとはいえない旨説明しているのである。しかし被告人が他に数回米を運んだ事実の如きは、それによつて本件の所為を違法ならしめるものとは認められないから原審の右説示は食糧管理法並びにその施行法令の解釈を誤つており、この違法は判決に影響を及ぼすこと明らかであるから、論旨はその理由があり、他の論旨についての判断を俟たずに原判決は破棄を免れない。
よつて本件控訴は理由があるから刑事訴訟法第三百九十七条により原判決を破棄し、同法第四百条但書に則つて当裁判所が直ちに判決することとする。
本件公訴事実は被告人が法定の除外事由なくして昭和二十六年十月十二日印旛郡本埜村下井地先から同郡八生村大竹地先まで粳玄米十俵三斗を農船に積み込み輸送したものと謂うのであるが、右玄米は被告人が農耕に従事して得た収穫であり、これを生産地たる本埜村から、被告人自宅に収納するに当り、平素から精米を依頼していた仲である同郡八生村大竹の木内佐男方に運び必要量を随時精白して貰いその他は同家に預けておくため収穫米十俵三斗を農船に積み込み八生村大竹まで運んだものであるから、食糧管理法の建前を阻害する理由は認められないから右所為は同法にいう輸送行為に該当しないものと解するのが相当である。それ故被告人の所為は罪とならないから刑事訴訟法第三百三十六条に則つて無罪の言渡をなすべきである。
よつて主文のとおり判決する。
(裁判長判事 近藤隆蔵 判事 吉田作穂 判事 山岸薫一)
控訴趣意
一、原審は左記理由に依つて法令の適用を誤り其誤りが判決に影響を及ぼすことが明かであります。
(イ)食糧管理法に所謂「輸送」とは其輸送の目的を検討して社会通念に依つて決定せらる可きものであります。食糧管理法に依つて主食の輸送を禁ずる所以は食糧の需給調整を妨げ或は配給の統制を紊す等の素因となるからで即ち闇行為を為したり又は之を誘発する虞れがない限り違法性が無いものとして処罰の対象とならないものと見る可きであります。今仮りに自分の家の直ぐ裏の田で自家生産した米を自家消費の為め運搬許可証なく自分の家に運ぶ行為を目して食糧管理法の輸送として処罰すべきものと認定するものは誰もないと思います。即ち違法性が無いのです。右設例と同じく運搬許可証なく米の生産者が其生産米を生産場所から自宅に自家消費の為運んだ本件の場合に於ても唯生産場所と自宅との間に相当の距離があり為めに此を以て右と区別する理由は少しもないのであります。況んや其生産場所から自宅迄運搬するについても証人井上保、同山田初男の証言によつても(記録五一丁裏同一一一丁裏同六九丁裏)最つとも便利であり最つとも近い距離であり更に運賃も安い舟運を利用したものであります。原判決は「被告人の生産米を生産地から印旛沼を利用して運んだもので此の様な場合普通運搬許可証によつていないことも推知出来る云々」と認定し乍ら更に「被告人が数回米を運んだことを認め得られるので違法性が無いとは云い得ない」と断定していますが違法性の無い行為を数回反覆することに依つてどうして其の行為に違法性を帯びてくるのか判断に苦むものであります。
(ロ)更に食糧管理法違反の所謂「輸送」とは純粋に輸送と云う形式行為を罰するものとして本件被告人の行為を無断許可輸送として処罰の対象とするものとしても村役場に勤務する証人伊藤久四郎は米の生産者が其生産米を生産地から自家に運搬する場合生産者として所定の運搬許可証を受ける者は無いし又受けたと云うことも聞いたこともなく又許可を受けなくても自分の米なら何の罪にもならないと思うと証言し(記録七四丁裏同七五丁表)被告人を検挙した警察官である証人成毛伝次郎同関直次郎の両名も自家生産米を其の生産地から自宅に運ぶ場合ならば運搬許可証がなくても処罰されない旨証言(記録一七七丁裏一七八丁表一八五丁表)し又被告人に於ても斯かる場合自分の米を運ぶのであるから運搬許可証は別に必要ないと思つていた隣村の人も許可を受けている人はない旨供述(記録一六五丁表)して居り更に原判決に於ても「このような場合普通運搬許可証によつていないことも推知出来るのであるが云々」として此を認めている点よりするも斯かる場合被告人唯一人に対してのみ所定の運搬許可証を得て輸送すべきことを望むことは到底期待し得ないことで即ち被告人の此行為自体は違法ではあるが他の適法行為の期待可能性が無いから責任を阻却された行為として無罪とすべきものであります。
(その他の控訴趣意は省略する。)